みなさん、こんにちは!
指揮者の石﨑真弥奈です。
アレクサンダー・テクニークに基づく、
心と身体にやさしいパフォーマンスについて発信しています。
思考・心(感情)・身体が一体になってはじめて、
自分の最大限のエネルギーが伴った行動や、
パフォーマンスに繋がる
というわたしの価値観をもっています。
わたしの心と身体の旅路
このような経験を開示することは、
指揮者の活動としては必要ないことなのかもしれません。
しかし、指揮者という仕事をしているわたしが、
音楽そのものではなく、心や身体について、
どのように悩んできたかを話すことによって、
心・身体の不必要な緊張から、
解放される方が増えると良いと考え、発信しています。
それが、あなたの人生において、
各々の表現したい、叶えたいことを、
根性論ではなく、建設的に実現していったら、
明るく、豊かな未来になると思ったからです。
まずは、わたしの体験談をご覧ください。
「プロであれば失敗してはいけない」と思っていた時代
あなたは、仕事やパフォーマンスをする上で、
失敗してはいけない
完璧でないといけない
と思った経験がありませんか?
わたしはずっと、そう思ってきました。
わたしは、プロフェッショナルであるならば、
- 失敗してはいけない
- 完璧でなくてはならない
などの思考を持っていました。
そして、それは、ある意味正しいと思います。
しかし、この思考が過剰になっていくと、
自分をどんどん追い込んでいき、
人前でパフォーマンスをすることが、
恐怖でしょうがない状態になると感じています。
わたしにも、そういう時期がありました。
恐怖という感情にとらわれている時間は、
- 音楽から何を感じるのか?
- 音楽を通して、何を表現したいのか?
- お客様に、何を伝えたいのか?
などを考えることはほぼできない状況です。
「失敗してはいけない」という恐怖のあまりに、
本来の目的である音楽を忘れていたという状況であると言えます。
これ以上の恐怖を感じないように、
そしてそれは、わたし自身を守るために、
心、思考、身体をフリーズさせていたことを感じました。
また怖れという感情は、
「失敗してはいけない」という思考から生み出されたもの
と気がつきました。
さらに、この「失敗してはいけない」という思考を生みだした要因は、
自分の認知の歪み、思い込みであるということを理解するまでに、
何年もの時間を要しました。
ただ思い込みだと理解した時
ある時、わたし自身が表現している作品とわたしが、
同化していることに気がつきました。
混同しているとも言えるでしょう。
そしてそれは、
表現したい音楽や、作品との同化だけでは済みませんでした。
演奏している音楽への評価、すなわち表現への評価が、
わたし自身への評価だと思い込んでいたのです。
その思い込みによって、
自己肯定感を低くしている現実がありました。
今考えるとおこがましいのですが、
自分と作品との同化をしているこの時は、
本当につらい状態でした。
なぜなら、他者からの評価が、
良い評価なら、自分が良い
悪い評価なら、自分が悪い
という『他者が自分の価値を決めるという構図』になっていたのです。
これは、
- 自分に自信がない人
- 人と自分を比較している人
- 目上の方の意見は絶対だと思っている人
が陥りやすい傾向だと思います。
そして、他人の評価が自分の価値であるというこの思考は、
悪循環なことは明白でしょう。
自分≠作品(仕事)
との分離が出来るまで、
その時期は、人生のどん底期で、
完全に自分を見失っている状態でした。
自分の中では、当たり前となっている思考が、
実は、思考や認知の歪みであること。
それを全て見つけ出したりすることは、難しいかもしれませんが、
1つでもできれば、それは心や身体の健全化に向かいはじめる
と理解しました。
わたしがこうして自分自身の認知の歪みを
見出すことが出来るようになった契機に、
世界3大ボディーワークの1つ、
アレクサンダー・テクニークの学びがあります。
アレクサンダー・テクニークを学ぶ中での気づき
アレクサンダー・テクニークについて、
簡単にご紹介すると、
心身一体になると
自分本来の力が発揮される
というボディーワークです。
わたしが、
アレクサンダー・テクニークと出会った頃は、
心や身体が連動しているということなんて、
考えたこともありませんでした。
しかし、左の腰が万年痛かった私は、
さすがに自分の身体は自分で守れるようになりたいと思い、
レッスンを受講することにしました。
初回のレッスンの感想は、
「何かよく分からないけど、身体が動きやすくなった!」
でした。
使ってなかった筋肉を使うことを教えていただいたのです。
それまでは、望む結果(音色の探求や、指揮の振り方など)
が欲しいために、練習を繰り返すということは多々ありました。
けれども、身体にとって、
どう動かすと負荷が少ないか、自然なのか
ということには興味を持っていませんでした。
しかし、解剖学的に無理な動きや、
動かない方向にむりやり動かしていたりと、
アレクサンダー・テクニークを学んでゆくと
かなり身体に負荷をかけていたことが
徐々にクリアになってきました。
痛くても耐えて、
出来るまでやるのが当然だと思っていたわたしは、
痛みは身体からのSOSだということに、
ようやく気がつきました。
昔から、「根性はある」と言われてきたこともあって、
そもそも「痛みは耐えるもの」という思考でした。
心にも影響をもたらした、身体の動かし方の探求
身体からのSOSを感じはじめた頃、
痛みを我慢してまで、やらなくても良いことを、
いかに我慢をして行っているかを実感しはじめました。
身体への我慢を辞めると、
思考の我慢グセ(=我慢をする習慣)も緩和されました。
後々に気がついたのですが、
我慢している思考に基づく感情は、
ネガティブだけでなく、ポジティブな感情までも、
感じることすら拒否していたように思います。
思考や身体の動かし方の習慣を認識するために、
余計な解釈や思考をいれない観察が重要なのですが、
いつも思考が邪魔をしていました。
どのように探求をしていき、
どう変化があったのかをお話していきます。
身体の動かし方の探求
わたしのはじめの一歩は、
解剖学的な知識を理解することでした。
身体がどの方向に曲げられるのか、
骨がいくつあるのか、
どの筋肉が働いて、動けるのか、
どの関節が一番重要なのか
などを知ることによって、
身体に大切に接するようになりました。
そして、レッスンを通して、
習慣的な身体の動かし方を観察し、
身体の動かし方の選択肢を増やしてゆきました。
簡単にまとめると、
行いたい動作を具体化する。
動かし方の観察をし、
どう動いたら建設的かを考え、
実験をすることです。
その際に、先生方の建設的なアドバイスが
引き出しを増やすのにとても有効でした。
思考の習慣の探求
身体の探求と同じことが、思考でも言えました。
ただ観察をするということが、
自分を俯瞰して見ることにもなることが、
わたしと思考を切り離せることになり、
とても良い作用をもたらしました。
言い換えると、
自分の当たり前=思考の習慣を観察し、
自分へどう声掛けをしたら建設的なのかを考える。
アレクサンダー・テクニークのレッスンを通して、
身体の使い方の探求と同じように、
思考の習慣を、観察し分析していくことにより、
視野も広がりました。
ただ先生にアドバイスを求めるのではなく、
大前提として、生徒にどういう望みがまずあるのか?
生徒自身の望みを先生がサポートする
というレッスンで学べたことは、
自己を確立するにも有益でした。
身体の使い方が良い状態で思考をすると、
思考も軽やかに変化するということもあり、
身体と思考が密接にくっついていることを、
より理解しました。
心、感情を思い出す
身体や思考を観察し分析する
という過程があることにより、
自分へ建設的な声をかけることが、
容易にできるようになりました。
こうして身体、思考の探求をしていくうちに、
面白い、楽しいなどの
ポジティブな感情、心を取り戻したのです。
それはとても嬉しいことでした。
わたしは、感情が恐怖、悲しいなど
ネガティブな要素が強いものにとらわれていた時は、
もう感じたくないと思い、心はふたをしていたと思います。
心が少し開き始めると、
心は安心や、楽しさを感じはじめました。
そして、安心や楽しさは、
もっと味わいたいものでもあるので、
徐々に様々な感情を思い出してゆきました。
結果として、
身体、思考という2つの方向性からのアプローチが、
自分の思考・心・身体のどれにも良い影響をもたらし、
自分との建設的な会話が、少しずつ出来るようになりました。
現在のわたし
現在の状況は、以前よりはとても楽に生きられています。
自分をいじめるような思い込み、身体の使い方から、
自分にやさしい問いかけをしています。
わたしの場合は、
身体にアプローチすることにより、
思考、心へのアプローチがしやすくなりました。
今の生き方は、
やりたいことは何か(思考)。
それを叶えたら、どんな感情が生まれるのか(感情)。
そしてその時に、
アレクサンダー・テクニークを使いたいのか(思考・感情)。
やりたいこと対しての建設的な思考をし、
身体を動かす、行動するというものです。
そして、
心(感情)がゴーサインを出さないと、
思考は建設的な判断、方向性を示すことが出来ず、
身体にも悪影響を及ぼすと考えています。
根性論で、歯を食いしばってがんばっていた頃よりも、
今のほうが、自分にやさしく、生きやすくなりました。
以前より、がんばっていないにも関わらずです。
不思議なことに、人から声を掛けられる言葉も、
- 良い顔になった
- 別人みたい
- 明るく、生き生きとしている
などのポジティブな言葉を言われることが多くなったのです。
これもうれしい変化でした。
次は、わたしがここで
様々な経験、アレクサンダー・テクニークに基づくアプローチ
をお伝えすることによって、
読者のみなさまに何かお役に立てるとうれしいです。
指揮者としてのプロフィール
東京音楽大学指揮専攻卒業。入学時、東京音楽大学給費入学奨学生。同大学院指揮研究領域修了。
指揮を広上淳一、高関健、下野竜也、汐澤安彦、時任康文、三河正典の各氏に師事。また井上道義、ジャンルイジ・ジェルメッティの各氏の講習会を受講。2016年PMFのコンダクティング・アカデミーに選出され、ジョン・アクセルロッド氏に師事。
2011年度、公益財団法人 新日鉄住金文化財団 指揮研究員に選ばれ、紀尾井シンフォニエッタ東京などで研鑚を積む。
2017年イタリアにて、第2回「ニーノ・ロータ国際指揮者コンクール」でニーノ・ロータ賞(優勝)および聴衆賞(マテーラ、ターラントの各地にて)を受賞。
2012年、第16回 東京国際音楽コンクール〈指揮〉において入選(1位〜3位なし)、同時に聴衆賞を受賞。
これまでに、読売日本交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、日本センチュリー交響楽団、東京交響楽団、広島交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、山形交響楽団、京都市交響楽団、セントラル愛知交響楽団、広島ウインドオーケストラなどと共演。
オペラにおいては、モーツァルト「魔笛」、フンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」、プッチーニ「修道女アンジェリカ」、「ジャンニ・スキッキ」などを指揮。また、日生劇場、日本オペラ振興会、神奈川県民ホールなどにて、音楽スタッフとして研鑽を積む。
ヒラサ・オフィス所属。