心と思考

自由に生きたいときに、なにをしたら良いのか(感情編)

自由に生きたいのに、
全然自由に生きられない
と思う人は多いと思います。

かつて、わたしもそうでした。

少しづつ、自由を制限をしているのは、
自分自身の身体・思考・感情の習慣であったことに、
気がついていきました。

わたしは感情を、
自分の中に押さえつけるタイプなのですが、
どのように、自由になっていったのかを、
お伝えします。

身体編はこちら

思考編はこちら

※とても強いトラウマがある場合は、
専門家にみてもらってください。

制限しているときの感情

自由を制限しているときの感情を
把握するパターンは、
大きく分けて3種類だと思います。

①この感情はダメ、この感情はオッケー
②人の感情が自分のものだと思い込んでいる
③感情を感じない

と、わたし自身の実体験から分析しています。

①この感情はダメ、この感情はオッケー

感情には、良い悪いもありません。
ただあなたが感じているものです。

けれども、どうしても、われわれは、
ネガティブな感情と一般的に言われているものを、
排除しようという傾向があります。

例えば、
怖れ
恐れ
不安
怒り
悲しみ
哀しみ

などを、感じたときに、
そこから
・涙を流す
・目を背ける
・反芻をし続ける
・人に助けを求める
・人に感情のままぶつける
など、様々なパターンがあると思います。

あなたのパターンは、
どういうものがあるでしょうか?

わたしの場合は、
反芻をし続ける傾向が強いパターンでした。
それから、ネガティブな感情は
感じてはいけないというように、
自分を罰をしていました。

大きく分けると、この2つパターンでした。

パターン①
ネガティブ感情

反芻

自分はダメだ

パターン②
ネガティブ感情

人に怒ってはいけないので、自分に怒りをぶつける

反芻

自分はダメだ

ネガティブ感情が悪いと思っていたので、
人に正当な怒りを持つことすら、
自分に罰していました。

そして、ある時期からは、
ネガティブな感情すら感じることもなく、
自分はダメだという回路が、
とても強く育っていました。

この状態では、
全く自由になれないですよね。

思考と感情にのみ込まれてしまって、
反芻や、自分をいじめることに、
エネルギーを要するので、
現実の根本的な解決には、
目をむけていませんでした。

現実の状態は全く変化しないので、
とても苦しい時期でした、、、。

このパターン・習慣を認識し、
自分を観察していくことで理解したことは、
ネガティブな感情も、
ポジティブな感情も、
ただ何を感じているのかを、
理解する大切な情報だということです。


観察ができるようになるまでが、大変でした。

②人の感情が自分のものだと思い込んでいる

人の感情が、自分の感情だって?
そんなのありえない
と思う方も多いと思うのですが、
わたしの場合はそうでした。

わたしは、

・真面目に生きること
・人に正当に評価していただくこと
・人に迷惑をかけないこと
を、モットーにしていたわたしは、
相手が良いと思ったものを、
自分にインストールをし続けていました。

簡単に説明すると、

幼少期におりこうにしていたら、
褒められる。

相手がハッピー

自分もハッピー

というように、
相手がどんな反応や感情を感じたかで、
自分自身の感情を決めていた
という習慣が多々ありました。

これをし続けたため、
本当に自分が感じている感情がわからないという、
感情迷子になっていました。

③感情を感じない

あなたは、今どんな感情ですか?

と聞かれて、ぱっと答えられる人は、
本当に素晴らしいです。

わたしは、今でこそ、
めっちゃ嬉しい
ちょっと楽しい
この件に関して、苦しい
など、感情を一つ一つに感じることも
出来るようになりましたが、
感情を感じることすら、
止めている時期がありました。

もしあなたが、
今、感情を感じないとしたら、

・あなたは、今、何をしたいの?
・あたなは、この後、何が食べたいの?
・あたなは、今、何が好きなの?

というような質問に、
わからなくなっていると思います。

・するべきこと
・人から求められること
・人が求めていること
に注力し、自分が何をしたいのかが、
感情が止まっている時は、
不明になるようです。

わたしは、
なぜ感情を感じなくなってしまったのでしょうか?

わたしは
①をし続けたあまりに、
感情を感じる前に、
・どうせわたしはダメだ、
・どうせわたしがいけないんだ
という思考がぱっと出てくるようになりました。

②をし続けたあまりに、
相手がネガティブな感情を感じている様子だったら、
・わたしは、クズだ
・どうせわたしが何かしたんだ
という思考に直ぐにリンクするようになりました。

そして、
感情を感じてないということにすら、
気がついていない時期が、
何年かあったように思います。

今考えると、わたしは、
もともとフリーズする傾向になるのですが、
感じないようにして、
自分を守っていたのだなと思います。

あなたが、
もし感情を感じていなかったとしても、
自分を、ダメだと思う必要はありません。

ではどのように、
感情を感じるようになっていったのかを、
次にお話しします。

どのように感情を取り戻していったのか

自分を観察という行動を、
ただただコツコツ続けることが鍵でした。

現時点がどのような状況にあるのかは、
自分の観察がある程度できるようになってからでないと、
気がつくことは難しいと思いますので、
わたしがたどった過程をお話ししますね。

どうなりたいのか

この記事を読んでくださっている方は、
何かしら、自分の現状に、
満足いっていない人だと思います。

どうなりたいのか?
と聞かれても、自分の目指す場所は、
わからない人も多いのではないでしょうか。

それであれば、
何をやめたいのか?
何が嫌なのか?
を一つずつ考えると、
目標ができると思います。

観察

はじめのころは、
カウンセラーなど、
然るべき人に見てもらってください。
わたしは、もっとラフに、
メンタルケアを受診できる文化が、
育つと良いなと思います。

わたしは、
アレクサンダー・テクニークのレッスンを、
受け続けることで、
観察ができるようになりました。

身体の観察し、固有感覚を育てることで、
ただ観察をするという習慣が育ってきたときに、
思考・感情の観察も、
できるようになってきました。

感情に気がつく

観察ができるようになると、
ネガティブな感情を、
除外したくなると思います。

その時に有効な言葉は、
〇〇〇と感じていることに気がついた

という言葉をかけることです。

わたしは、
感情にのみ込まれているなと感じると、
感情をジャッジせずに、

感じていると気がついた

と自分にいうことで、
感情を俯瞰的に味わえるようになりました。

感情にのみ込まれているということに、
気がつくことも、観察です。


これで、観察がいかに大切かが、
伝わったと思います。

そして、
感情を良い悪いのジャッジをしないからこそ、
のみ込まれることもなく、
距離を取れるようになってきました。

新たな感情の選択をする

気がつきさえすれば、
違う感情を味わいたいと思ったら、
選択しなおすことが可能です。

例えば、
ある事柄に、恐怖を感じているということに気がついた

その感情をただ味わう

違う感情を選択しよう

こういうアプローチをしてみようと、
思考、身体が変化することで、
行動までもが変わる

という循環です。

わたしは、
ネガティブな感情の反芻に、
全エネルギーを注いでいました。

その反芻していることに気がつくことで、
新たな思考がうまれ、
新たな行動になり、
選択肢が広がったなと感じています。

さまざまな感情も、
ジャッジを手放していくことで、
大切に味わせるようになると思うと、
少し嬉しくありませんか?

自由になるには

今回は、
感情から、自由になっていく
お話しをしました。

わたしの場合は、
感情を押し殺していましたが、
感情を抑えきれないという、
逆のパターンもあると思います。

感情を丁寧にみることをして、
6年あまり。

現在、わたしが感情にたいして思っていることは、
自分の中で、感情を消化していないと
人や自分に対しても、
攻撃性が強くなることです。

攻撃や暴力に、愛はありません。

自分の感情を消化して、
愛をもって、
自分にも人にも、
接することができる人が増えますように。

わたしもまだまだ探求していきます。

自由になりたいときに、なにをしたらよいのか 身体編

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