心と思考

われわれは、人をどう見ているのか?

インディアンの言葉に、
『あなたには、見たものも見えず、聞いたものも聞こえず』
があります。

この言葉は、
アレクサンダー・テクニークとは関係ありませんが、
生きていく上でとても大切な言葉である
と考えています。

なぜなら、私たちは、
自分が見たいもの
自分が聞きたいもの

を見聞きしていると感じるからです。

これを言い換えてみると、
自分の都合の良いものを見る
自分の都合の良いものを聞く

という意味にも置きかえられるかもしれません。

アレクサンダー・テクニークを通して、
わたしは見る、聞くという価値観が、
大きく変化しました。

今回は、アレクサンダー・テクニークでは、
どのように人を見るのか?
ということをお伝えします。

観察

アレクサンダー・テクニーク教師は、
相手の動きを観察することが、
大切にされています。

観察の意味とは、
物事の真の姿を間違いなく理解しようとよく見る

広辞苑より

真の姿とは、
一体何なのでしょうか?

例えば、
同じ物事を多数で見ていた場合、
人が違えば、その物事への思考や感じ方が異なります。
それは、各々が見聞きしたいものに、
影響をされていると言えるでしょう。

そこには、『主観』が入っています。

アレクサンダー・テクニークも、
教師が異なれば、
異なる意見が返ってくるので、
主観が入っているかもしれません。

けれども、
主観を交えずに、
ただただ観察をする

ということを、とても大切にしています。

ただただ観察をするとは?

実際のレッスン現場を想像しながら、
読んでみてください。

指揮を振ると、肩が凝る
と悩んでいる生徒がいたとします。

多くの人は、この時点で、
むくむくと思考が湧いてくるのではないでしょうか?

例えば、
・指揮をするなら、肩は凝るだろう。
・変な振り方をしているのでは?
・片足に重心をのせて、指揮をしているのでは?
などなど、様々なものが思いつきます。

指揮を振ると、肩が凝る

という一言から、
あなたの主観がだいぶ入ってしまい、
観察する視点が、
限定的になってしまうこと

が分かると思います。

・指揮をするなら、肩は凝るだろう。→肩
・変な振り方をしているのでは?→振り方
・片足に重心をのせて、指揮をしているのでは?→片足に重心

このような主観は、
観察をする時には邪魔になります。

もちろん、情報を集めることは大切です。

例えば、
・どの位の時間を振ると、肩が凝ると感じるのか?
・どんな振り方をするときに、肩が凝ると感じるのか?
・振り終わって、どの位時間が経つと、肩が凝ったと感じるのか?
・どんな曲を振ると、肩が凝ると感じるのか?

などなど。

これらの質問は、
あくまでも観察をする材料です。

教師の主観ではなく、
生徒の感覚を聞いています。


このような情報で、
どこを観察したら良いのか、
推察をすることはできるでしょう。

推察はしているけれども、
特定の場所を限定して、
観察をしようとはしていません。

皆さんも、ご経験があると思いますが、
思い込みが激しいときには、
他者の意見を、受け入れることはできません。

それと同じです。

観察をするということは、
ただただ見る
ということです。

人を観察をする力、
現代社会に生きている我々にとっては、
だんだん薄れてきていることではないかと
わたしは感じています。

現代では、情報を得るために、
PC、スマートフォンで、
常に何かを検索しているといると思います。

その使い方は、
正解の情報を探す
という使用方法ではないでしょうか?

自分で思考する行動よりも、
物事の正解への道筋を知ってから、
行動しているように感じます。

そのため、
世の中の正解という枠の中での行動を求められ、
自らの力で道筋を探す、
広い視野での観察力が、
薄れているのではと考えています。

観察に、正解も不正解もない

ただただ目の前の人の動きを観察することは、
そこに、正解も不正解もありません。

主観をもって観察をするのであれば、
主観に対する正解、不正解はあるでしょう。

どんな動きであったとしても、
その人がそれまでの人生で、
必要だと思ってきた動きをしています。

そして、その動きは、
その人を守ってきたものかもしれません。

例えば、
『気をつけ』という姿勢を取り上げてみましょう。

日本の義務教育を受け、
『気をつけ』と、毎日号令をかけていた世代は、
背筋を伸ばすでしょう。

しかし、身体の構造にとっては、
とても負荷のかかる不自然な動きです。

号令や目上の方の前では、
『気をつけ』が習慣化されるほど
身についているわれわれにとっては、
礼儀を身につけたという利点があるのかもしれません。

身体には負荷はかかるけれども、
礼儀正しくみえるという『気をつけ』は、
その人が必要だと思ってしてきた動き、習慣です。

動きに正解も不正解もないことは、
ご理解いただけたと思います。

正解も不正解もないならば、
アレクサンダー・テクニーク教師は、
何を観察しているのでしょうか?

身体全体の動き方、動かし方を観察

アレクサンダー・テクニークのレッスンでは、
教師は、
身体全体の動き方、動かし方
を観察しています。

身体全体というのが、ポイントです。

主観を外せば、
身体全体を観察しやすくなります。

身体はつながっているので、
限定された場所ではなく、
全体を観たほうが、
様々なことが観察できることが、
お分かりいただけると思います。

また、アレクサンダー・テクニークで、
最も大切にされている場所は、
頭と脊椎なので、
その場所も含めて観察をしています。

そして、観察をしていくうちに、
身体に不必要な緊張をもたらしている場所
解剖学的に不自然な動かし方をしている場所
などが見えてきます。

観察後は、その緊張や不自然さを解いていき、
身体本来のポテンシャルを生かし、味わう実験を、
レッスンで行います。

ただただ相手を観察をするということは、
幅広い可能性を秘めています。

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簡単なようで、
この観察の方法が腑に落ちるまでは、
わたしは3年くらいかかりました。笑

この観察の仕方は、
相手を決めつけないので、
人間関係も円滑になりました。

人は、受け入れてもらえるときほど、
安心感を感じることはないと思います。

はじめにご紹介した
『あなたには、見たものも見えず、聞いたものも聞こえず』

あなたは、
相手からなにを受け取っているのでしょうか?